気づくって難しい [雑感]
自分の気持ちや、感情を無意識なこころの検閲官なしに気づくって難しいように感じる。
何となく嫌な気持ちとか、むっとしているとか、モヤモヤ、やる気が出ないような感じ、私の場合はダルイ感じ。
「頑張っている自分」に気づくことってあまりない。「あぁ、俺って頑張っているなぁ、ちょっと休もう」とかあまり思わない。
例えば、朝いつもより寝坊したとする。人との約束などに大きな影響を与えたりしないのに、「あぁ、やっちゃた、まただ、いつもそうなんだよなぁ」と、少しどんよりした天気のような気持ちになる。すぐに気分転換ができるといいけれど、何となくその気持ちを引きずりながら、その日を過ごす。
ただ、事実は思ったとおりの時間に起きれなかった。自分が期待していたことをできなかった。それがあるだけ。原因は身体が疲れていたのかもしれないし、こころが疲れていたのかも知れないのに。時間通り起きれない自分を怠け者だと思ったり、どうすれば、早く起きれるようになるかと自分を励ましたり。
現実は、遅く起きたときに、次に必要なことをすることであり、そこで学ぶことがあれば学ぶことであり、いつまでも自分を責めたりして、嫌な気持ちを起こさせっぱなしにしないことである。
「常に」(曲者である)、早起きし、時間を有効に使いたいとか、あぁすれば、こうすればいいとか思っている自分がいるようである。
あぁすれば、こうすれば、と試行錯誤しながら、早起きできるようになって、良いことがあるのも良いことなんだけれど。でも、私の場合、この「あぁすれば、こうすれば」と考え挑戦するのも好きなんですね。でもやった結果できないこともあるわけですし、できないことも、いろんな事情で増えてきたりするし。
こうやって日記を書くことで、自分を振り返って、日常の小さなことひとつとっても、そこにいつもの頑張り好きな私がいるわけなんですね。
それも、無意識に頑張っている自分の「姿」が少し感じてきました。頑張るのは悪いことでも、良いことでもないと思う。でも頑張りすぎている「自分」に気づかないことは、自分を雑に、ないがしろに扱っているようだと感じる。自然な存在である「自分の存在」。それを大事にしようと思う。
ダルイ気持ち、嫌な気持ちは何かを教えてくれる、気づかせてくれるサインなんだと思う。
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