SSブログ

つい反応してしまいます [雑感]

性格というものは、自動反応的なものに様に感じます。その自動反応的な言動によって、自分に良い結果が応答として得られれば自分の好ましいところ、そうでなければ、嫌なところと感じています。そして自分と周囲はその嫌なところを修正するように迫り、そうしようと頑張る人も、反発する人もいます。

「私は・・・」という私は性格です。意識的にも無意識的にも。

私たちの本質は「性格」でしょうか?

私は人の集まるところ、例えば仲間とお酒を飲むような場合、あの人は楽しんでいるかな、妻ららいかな、・・・なんて、ホストでなくても、参加している人が気になってしまいます。お酒を飲むような場合でなくても、人がいると、目の前の人に自動的に反応してしまいます。その反応の仕方が何か役に立つことはないかなぁ・・・・、どうかなぁというものです。少しでも役に立っているような実感があればいいのですが、それがないと落ち着きません。まるで自分が役立たずのような・・・。実際は誰もそんなことを思っていないことが冷静に考えればわかることですが、自動的に反応しています。

自分の中で、あるがままというか、素のままの、そのままの姿では、いけない、いけないと言っているように感じます。だから、無意識的にも、私の場合であれば、相手に役に立つようなことをしたいという衝動にかられる感じです。

私も、誰もが、自然の中の一存在として、後にも、先にも、唯一で、決して同じものはないのに。結構自分をないがしろにするかのように、何かになろうとしています。

そして、気がついたときには、本来の自分の姿は感じなくなっています。まさに、青い鳥を求めてですね。性格、自我の働き・・・これらは生活をする上で必要ですが、心理的に、自分を責めたり、他人を責めたりするような働きもします。それも多くは妄想に基づいているように感じます。

外界の刺激に対して、自動反応している姿、そんな姿や、そのメカニズムに気づいていくことが、自動反応の支配から離れていくようです。

このことが、本来の自分に還ってゆく、自分になってゆく、自分を大事にする。。。。自分を生きるという事なのかなぁと感じています。一度しかない「生」を大事にすること。

こんな思いがあって、鈴木秀子先生が提唱するコミュニオン、傾聴を学んだり、内観、Tグループと様々なワークショップに参加しています。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。